2016年1月12日火曜日

ハイエナアングラー

■前置き

本記事は、

時間もカネも労力も掛けずに自分だけいい思いをしよう、

といった考えを持ったアングラーに対し、

「強く批判している」

という印象を抱く可能性がある内容になっています。

・実体験をベースに
・TKTNの仮定を展開し
・TKTN個人の考えを述べている

ということを理解の上、先にお進みください。

例えば下記のような方は、この先には進まれないことをおすすめします

・アングラーこうあるべき論が嫌い
・権威のない人物の偉そうな物言いが嫌い
・そもそもTKTNが嫌い
・人類皆友達、みんな楽しくやれればなんでもいいじゃん、と考えている
・ハイエナが好きで好きでたまらない

まあ、人によっては、“毒”と感じる要素があるかもしれません、てことです。

―2016.2.3 追記



















とはいえ、見ますよね。

臭いものがあったら臭いたくなる。

ニンゲンのサガですよね。







ハイエナ(=ヒヤエナ)は、ネコ目(食肉目)ハイエナ科に属する動物の総称である。長い鼻面と長い足を持ち、イヌに似た姿をしているが、ジャコウネコ科に最も近縁である。別名タテガミイヌ
分布[編集]サハラ砂漠以南のアフリカの他、シマハイエナはトルコ中東アラビア半島ロシア南西部、インドにも分布する。

中型のカッショクハイエナやシマハイエナは、狩りをするより腐肉を漁ることの方が多いため、ハイエナの一般的な印象「サバンナの掃除人」のもととなっている。

—Wikipediaより引用

狩りをするより腐肉を漁る

まさにこの言葉通りのアングラー。
皆さんの周りにもいないだろうか?

ボクは、
「釣れたら教えて」
だとか
「調査してきて」
だとかいった事を簡単に言うアングラーの考え方には賛同しかねる。

人伝(ひとづて)の情報を鵜呑みにしてポイント選定を行う。

ただただ重要なのは、直近(特にその日、前日)釣れていたかどうか
で、そこには自分の考えや分析、解析はない。

ひどい場合には、

・釣れたルアー(メーカー、商品名)
・釣れたカラー
・釣れたアクション
・釣れたレンジ

までも情報提供を求められるケースもある。

個人的に思うのは、

「それで釣れて楽しいか?」

である。

ある意味、

釣果至上主義

そのプロセスには拘りや自分の考えはなく、ただただ直近釣れてるポイントに赴き、周りと同じように釣る。

「それで釣れて楽しいか?」

自らの足でポイントを探し、自らの釣技で魚を獲る。
釣れた一尾の価値に重きを置く。
結果だけではなく、そのプロセスを楽しむ。

それが釣り、さしてはルアーフィッシングの楽しみだと、ボクは思っています。

サイズじゃない。数じゃない。

自らの分析・解析から導き出される読み
読みから導きだされる

その一匹に価値を置いているからこそ、ショアからのルアーフィッシングは楽しいのではないか、と。

ここで、仮定を展開し、それに対してボクが思うことを書き連ねる。

―食材調達を第一義としている、と仮定する。

単なる食材調達なら、近所のスーパーにでも行けばいいのでは。


―鮮度の高さを第一義としている、と仮定する。

市場に行けばその日に獲れた鮮度の高い魚を売っているし、マグロだってヒラマサだってカンパチだって、釣り人の憧れとされる魚が選び放題ですよー。


―魚とのやりとりを楽しみたい、と仮定する

海上釣り堀行けば?
オフショアで、船長に魚影が濃いところまで連れてってもらえば?
※オフショアは簡単と言っているわけではありません。確率の問題です。


―でもオフショアやるにはお金がない、と仮定する

海上釣り堀ならそこまで高くないですよー。
相場は5,000円くらい。遠征数回我慢すれば、高確率で魚が釣れますよー。


―更には海上釣り堀で払うお金もない、と仮定する

あれは嫌これも嫌。あれは無理これも無理。
言葉の掛けようもないな・・・
近場の堤防でやればええやん


―でも近場では釣れないから…

そういう環境なのです。
自分が住んでいる地域は、自分が思う釣りには向いてない、そう理解するしかない。
時間・カネ・労力、どれか(もしくは複数)を駆使しましょう。

・・・

高いお金(交通旅費、渡船料、タックルルアー代、等々)を支払い、前日の仕事、翌日の仕事、家族サービス、テレビ見たい、ゲームしたい、寝たい、オナニーしたい等々の縛り・誘惑を乗り越えて自らの足で釣りに行くのは、

自らの足で、手で、魚を獲りたい。

という思考があるからこそではないか、という仮定をボクの中で持っている。

青物タックルのハイエンドなんて、ロッドとリールで15万コースなんてこともある。
集めたルアー、ロストしたルアー、変えたライン、釣行に掛かるガソリン高速代。

含めると、一体いくらになる?

それだけ掛けて得るものが「夕食のおかず」や「晩酌のあて」でいいの?

それなら、家族と市場にでも出かけて、

「このブリでかっ!」
「エイきもっ!」
「マグロうまそっ!」

といった家族団欒を楽しんだ方がいいんじゃない?

釣りの楽しみ方は人それぞれ。

そのスタイルも人それぞれ。

でも、自分は時間・カネ・労力を掛けずに、利益だけ授かろう、という考え方をするアングラーに対しては。

・キミ、釣りの楽しみの8割を失ってるよ
・キミ、それなら市場に魚を買いに行きなよ
・魚の引き?オフショアならデカい魚が多いし、海上釣り堀ならリーズナブルだよ

という思いを感じざるを得ないのである。

趣味としての釣りを食材調達としか思っていないのは、なんか趣味にするにはもったいないなあ、と思うのである。




釣り場の駐車スペースで、タックルの準備もせずに、クルマの中で虎視眈々とアングラーが帰って来るのを待ち構え、アングラーが帰ってくるや否や車から飛び出し、

「釣れました?」

と聞く。

「ダメでした」

と答えると、

「ここもダメなのかー」
「まだ釣れないのかー」




ちょいまてーい!?!?!?!?





釣り場に立て

ラインをロッドに通せ

ルアーを付けろ

それを投げろ

思うままに操作しろ

自分の持てる限りの釣技を試せ


そんなけやってからの

「ここもダメなのかー」

とちゃうんかい。


「いればある程度は釣れる(アジ限定w)」

最近はボクもそれくらいのちょっとした自信は持てるようになったけど、ボクが釣れる魚とあなたが釣れる魚は違うかもしれない。

「じゃあ釣れないだろう」

じゃなく

「でも俺なら釣れるかもしれない」

むしろ

「じゃあ俺が釣ってやろう」

って。

ボクはそう思うタイプであるし、そう思って欲しいと願ってやまないのです。

-----< 誤解を招く可能性がある為、注釈を付けます >-----

「釣れますか?」

と聞くことが根本的に悪だ(とボクが感じる)とは言っていません。

その一言は、アングラーにとってコミュニケーションの取っ掛かりになると思っています。

ここで指摘している「釣れますか?」は

タックルの準備もせず
釣り場から返って来る(ポイントを調査してきた)アングラーを待ち構え

「釣れましたか?」

という赤の他人への調査報告を要求し、

「釣れたことが確認できたら自分もタックルを準備しよう」
「釣れた人が帰って来るまで待とう」

というような姑息な考えを持ったアングラーのことを言っています。

「ここまで来たんなら、自分で確かめなよ・・・」

という思いを感じざるを得ない残念なアングラーのことを指しています。

自らは動かずに
人に調査に行かせ
その結果如何で自らも動くかどうかを決める
「釣れた?」
のことを指しています。


決して、釣り場で、撃ち場で交わす、

「釣れますかー」

から始まるコミュニケーションを否定しているわけではないことをご理解ください。

—2016.2.3 追記

-----< 注釈ここまで >-----

ボクが釣り場で

「釣れますか?」

って聞く時に期待する言葉は

「全然釣れてないっす」

30分後か、1時間後か、同じ人に会った時に

「どうでした?」
「普通に釣れましたよ」

というやりとりをするためw

だったりします。

性格悪いですね。

でも釣り人の中にも、

「周りが釣れない中、自分だけが釣れてる」

という状況に大きな興奮を覚える、という人は少なくないと思っています。


ボクが思う情報共有のあり方とは、

一方通行

ではなく、
持ちつ持たれつな

相互関係

が理想だと思っている。

なので、釣り場で知り合った方に
「どこが釣れてますか?」
なんてことを聞くことはない。たぶん。

なぜなら、そこには
「教えてもらったお返しに、何か教えてあげないといけない」
という意識があるから。

そしてボクにはそこまで多くの引き出しはないので、その引き出しは大事にしていきたいし、釣りって自分で魚探すのも1つの楽しみやから、

ポイントを教える=相手が魚を探す楽しみを奪う
ポイントを教えてもらう=自分が魚を探す楽しみを奪う

ということにもなる。

魚いるかな?いないかな?
釣れるかな?釣れないかな?

わくわくしながら釣り場に立ち、ワクワクしながらルアーを投げるって楽しいやん。

自分が釣る魚は自分で探す

って、めっちゃ楽しいし、釣りの上達にとって重要なことだと思いませんか。

教えてもらった場所で
教えてもらったルアーで
教えてもらったレンジで
教えてもらったアクションで

そういった釣行を愚直に繰り返し、成功体験を積み重ねていくことも、初期段階のスキルアップの観点では必要なんやけど。

その先の楽しみがあると、ボクは思っている。

とあるアジンググッズメーカーに所属しているアングラー(推敲の結果、個人を特定できない形にしました)が、新製品のプロモーションで下記のようなことを言っており、大きな共感を覚えた。

「誰も釣れてない時に釣れる方が楽しいですよね(意訳)」

みんなが釣れてるときに同じように釣るのは当たり前。

誰も釣れない時にドラグ音を響かせる。

これこそがアングラーの快感。

ボクはそう思います。


クルマで待ち構えた末に、やっと現れた(釣り終えた)アングラーには釣れなくても、
自分には釣れるかもしれない。だからやってみよう。

そういうマインドがあると、釣りってもっと楽しくなるし、だからこそ
「次はもっと釣る」
「次こそは釣る」
に発展するんじゃないかな。

最初から、何でもかんでも自分でやれってわけじゃない。

どこかで「他人に依存する釣り」から巣立つタイミングが必要で、その先に、本当の楽しさが待ってました。
というボクの体験談でした。


本記事は、「TKTNの思考・戯れ言」のカテゴリに属しています。

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